在りし日のネパール(拡大したい時、また戻る時は画像をクリックしてください) | ||
旧王宮そしてネパール伝統料理 2015/3.07 | ||
続いて旅の最終観光地 旧王宮訪問となります。2006年に 王制が廃止されるまで王宮だったところですが、木とレンガの 街並み訪問が続いて頭の中が混乱状態。デジタルカメラの ファイル整理のおかげで何とか繋げている状態。似たような 街並みに食傷気味、最初に訪問したバクタプルでの感動を 得るのは難しくなっています。 |
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観光客でごった返す入場門を抜けると、比較的に整然とした 建物が立ち並んでいます。繰り返しの屋根の重なりがリズムを 持っているように感じましたね。王宮の前に柱があり、その上に マツラ王の像があるのですが、毎日毎日像を崇めろという事で しょうか。そしてヒンドゥーの壁、次々と人が訪れ赤い塗料を 塗っていくもので、異様な雰囲気となっています。 |
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香辛料店の前を行く老女二人、山奥からハルバル作物を担いで 都会にやって来たのでしょうか。何日も掛けて歩いてきたような 雰囲気ですね。広場に出ました。そこはフリーマーケットのような 状態で骨董品の類が売られています。ところが旅も終わりに近づき 現地通貨ルピアも米ドルさえも枯渇状態でただ見ているだけ。絶対に カードも使えないでしょうから、本当に残念な思いをしましたね。 大通りに出ると大きな荷物を載せた三輪車、すかさず写します。 |
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王宮広場でノンビリ休日の午後を過ごす人々。そのノンビリさ加減に 驚くのですが、日本人が忙し過ぎるのかも知れません。王宮入り口に 立つ衛兵、ナカナカの好青年でした。そして旗を振るオジさん、私が カメラを向けると、一段と大きく振ってくれました。この間にも添乗員さんは 携帯電話の掛け続けています。今宵のホテルの算段をしているようですが、 バッテリーが無くならないかと、こちらが心配するほど差し迫った表情です。 |
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今宵の夕食は予定通りに伝統料理。素焼きの杯に高い所から 焼酎を入れてくれるのです。珍しい注ぎ方と写すものの暗過ぎて 写真にならず。味は格別の癖はなく、アルコール度高めの焼酎。 これと一緒に供されたジャガイモのフライが皆さんのお気に入り。 リクエストでもう一皿持って来てもらうのですが、マックのフライド ポテトとホトンド同じ味だったのです。料理は相変わらずカレー味。 印象に残らぬ味でしたが、という事はネパールでは私好みの料理が 無かったという事ですね。こちらではインド同様に香辛料のみでの 味付け、やはり日本人には醤油が必要でしょうか。 その内に民族舞踊が始まりました。暗くて狭いスペースでのダンス。 ストロボまで登場ですが、今度は止まり過ぎとお気に入りの写真は 全く残っていませんでした。食事が終わる頃に添乗員さんから嬉しい 知らせ。今宵のホテルがようやく決まったそうな。ホッと.... |
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我がツアーが無理からに獲得したホテルとなります。先のエベレスト ホテルに負けず劣らずの豪華?ホテル、それも旅行社が費用を持って くれるそうで一安心。但し今宵限りで連泊は絶対に無理と言われて いるとか。翌日に国際線が開通しないと大変なことになるのです。 |
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国際線が飛ばずとも国内線が飛んでいますので、周辺の観光を終えた 旅行者が次々とカトマンズに集まってきます。国際線が飛ばないので 旅行者が溢れかえるばかり。ツアー客は旅行社と利用航空の力関係で ホテルの部屋を押さえられたようですが悲惨なのは個人旅行者。一部屋を 5人で使っている話さえ聞こえて来ました。そしてまた気の毒なのが空港 閉鎖と同時にネパール観光を終えた方々。帰るに帰られず同じホテルに 5日間居座っていましたが、ホテル代に食費が全て個人持ち。実は 我がツアーと同じ旅行社ながら利用航空がマレーシア航空だったそうな。 |
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